『さぷらいず・ないと』

<4>

 インバース家でにぎやかな昼食が済んだ頃、ようやくガウリイが迎えに現れた。
「よー、寝坊か?」
 舅への返事もせずに、昨日より険しい表情のまま、揃っている子供達にずんずん近付いていく。
 男の子達はリアクションするヒマもなく、容赦ないゲンコツに見舞われた。
「おとーしゃんっ!」
 びっくりしているレイナにも、ぐりぐりとゲンコツが擦りつけられる。
 ガウリイが甘々親父と評されているのはダテではなく、末姫に体罰するなど今までなかったコトで。
 これには子供達だけでなく、祖父母も驚いた。
「おいおいっ、レイナはゆうべひっくりかえったんだぞ! 手荒にするな!」
 それでも今日のガウリイは譲らない。
「おまえ等なぁ、とんでもないコトしたってのわかってるのか?」
 怒りのこもった声に、子供達は頭をさすりながら顔を見合わせる。
「――叔母さんとの一戦がバレた?」
 何せ昨夜はあの喧騒である。
 ルナは朝からアルバイトに出かけているし、近所のどこかから情報が流れていても不思議はない。
「――何言ってる?」
 ――どうやらそうではないらしい。
「じゃあ、昨日のつづき?」
 大人しく祖父の家で反省しろと言われたのに、聞かなかったコトに気付かれたのか?
「あの有様でバレないと思ってたのか?」
 家に忍び込んだのまで発覚しているっ!?
「…何でバレたんだろ?」
 どんなに普通の子供達のレベルを飛び越していようと、やっぱり子供は子供。
 少なくとも両親に対しては完全犯罪と信じていた昨夜の冒険が、いともあっさり露見してしまった不思議さの方にすっかり気を取られて、半ば白状してしまっているのには気付いていない。
 ――もっとも、それに気付いているのは祖父母だけで、実はガウリイもわかっていなかったりして。
「自分達で確かめろ。
 さ、リナにもがっちり叱られに帰るぞ、覚悟しとけよ?」
 問答無用で、またレイナを抱き上げてしまうガウリイ。
 とか言いながら――どれだけ本気で怒っていても、ガウリイはガウリイには違いなく、概況を上手く解説出来ないだけなのかもしれないが。
 真相はどうあれ、こうなると魔法でも使って逃れない限り、末姫様人質状態。
 いつも鷹揚な父がこんなだということは、あの母がどんな状態かは想像に難くない。
 だからといって、いくら確実に折檻が予想できても、大事な妹を人身御供にして敵前逃亡するわけにいかず――。
 渋々ながら、兄達は重い腰を上げた。
「おまえらー! また追い出されたら、帰ってくればいいからな〜」
 こちらも甘々爺バカなのか単なる無責任なのか。
 祖父のエールは、祖母のエルボーで封じられた。

 いつもと違って、ガウリイは歩みを子供達に合わせてくれず。
 レイナはしゅんとしたまま、父の肩越しに小走りで追ってくる兄達を見ている。
 隣の家の前にさしかかると、奥から白い大きな犬が飛び出して来た。
「マイバぁ! ゆうべはありがとね〜」
 わおんっ!
 また付いて来ようとするマイバに、珍しくしっしと手を振るレイナ。
「きょうはきちゃダメだよ〜、おかーしゃんのまほーにまきこまれちゃうよぉ」
 ふさふさの尻尾をぱたぱた振りながら、それでも付いてこようとするマイバを、兄達がさらに止める。
「今日だけは、止めとけ」
「おまえがレイナが大事なのはわかってるから」
「明日になったら、うんと遊んでやるって」
「これ! 戻っておいで!!」
 開いた窓から飼い主のおばさんが呼んだのが、決定打になった。
 その恰幅のいい体型と比例して度量の広い彼女は、いつもはガブリエフ家の子供達とマイバが遊ぶのを止めたりしないのだが――。
 昨日の喧騒に自分の犬も混ざっていたのを、多少なりとまずいと思ったのかもしれない。
 ガルデイが軽く尻を叩いてやると、マイバは末姫のバイバイに送られて、名残惜しそうに戻って行った。
「魔法が――何だって?」
 怒りを一時棚上げにして問うたガウリイに、レイナが淋しそうに言う。
「だって〜、おかーしゃんおこったら、じゅもんかけちゃうんだもん。
 レイナたちがしかられると、よくおとーしゃんもいっしょにまきこまれちゃうでしょ?
 マイバはレイナをたすけてくれたのに、そんなのダメだよ」
 ガウリイが一緒に呪文で吹っ飛ばされるのは、ガウリイだからこそなのだが――、そう説明してもこの娘が納得出来るとは思えなくて。
 父親はただ苦笑するしかなかった。
「おとーしゃん、ごめんね」
「巻き込まれるのを前提に謝ってどーする」
「…そーじゃなくてぇ。
 おとーしゃん、とってもおこってるんだもん」
 視線を向けると、涙目になった娘が見つめていた。
「きのうおかーしゃんにしかられたことと、おばしゃんにおしおきされたことと、けさわかったことといっしょになったんでしょ?
 レイナ、よくわかんないけど、たのしいことがいっぱいになると、もっとたのしくなるのとおんなじで、おこるのもいっぱいになると、とってもたくしゃんおこるのになるんだね。
 だから、おとーしゃんもおかーしゃんも、ゆうべよりたくしゃんおこってるんでしょ?」
 ――どうやら、おっとり末姫様にとっては、怒りの増幅という感情は縁遠いものらしい。
 だが、この要領を得ない説明も、理解力放棄気味で本能優先タイプのガウリイにはかえって良かったようで。
 少し怒りが沈静したらしく、ふうっとため息を吐いた。
「――そうだな」
「でもね、おとーしゃん。
 そういうときは、どうやってごめんなしゃいしたらいいの?
 レイナね、おとーしゃんたちがダメだよっていったことは、もうしないようにしてるんだよ。
 けど、ダメだっていわれたのと、おんなじことになったことないから。
 『どーしておんなじことするの?』ってしかられても、よくわかんないの」
 ガウリイの足が止まって、男の子達はようやく追いついた。
「――つまり――それは、『怒られた時とまるっきり同じ状況じゃないから』ってことか?」
 すっとんきょうな顔で訊く父に、末姫は不思議そうに小首を傾げる。
「だって、おんなじなのは、まほうをつかったこととか、レイナがひっくりかえったくらいでしょ?
 いるひとはいっしょでも、じかんも、ばしょも、みんなちがうよ?」
 このびっくり箱のような娘が、また何かとんでもないコトを言っているのだけはわかった。
 それ自体は、特に珍しいコトではない。
 ――だが……。
 すっかりくらくらしている父に、ラグリイが助け船を出す。
「記憶力が良すぎるへいがい、ってヤツなんだね」
 末兄は苦笑ながら、妹を見上げた。
「レイナは叱られた時にあったことを全部覚えてるから、そういうじょうたいになっちゃいけないんだ、って思ってるんだろ?」
「そーいうことじゃないの?」
 ひたすらきょとんとしている娘に、リナがここにいたら間違いなく頭を抱えるなとガウリイは思った。
 普通の感覚なら『叱られたコトをもうしない』と学ぶところが、『叱られた状況をもう作らない』と考えていれば、同じミスを繰り返すのも当然だろう。
 それを覚えていられるというのだけでも、充分とんでもないが――。
 何もかも全て同じ状況になることなど、一生の内でもそうそうあるはずもなく。
 悩みのタネである『末姫が一向に懲りない原因』が、兄達のように強かな性質のせいでなく、想像力や応用力の欠落でもなく、そんなところにあったとしたら――。
「ねぇ、おとーしゃん。
 たくしゃんになっておっきくなるなら、たくしゃんたくしゃんごめんなしゃいしてもダメ?」
 今回のコトもその思考パターンから派生したなら、継続的な怒りには意味が全くないということで――。
 今度に限らず、この末娘への叱り方はかなり難しそうである。
 ガウリイはすっかり毒気が抜けてしまったような気がした。
「――量が問題なんじゃないんだが――、悪いことをしたってのはわかってるんだな?」
「――うん」
「兄ちゃん達は?」
 周りを囲むように立っていた男の子達は、こくこくと頷いた。
「言いつけは守るから」
「夜歩きしませーん」
「家にも忍び込まないって」
 こちらの方は反省しているかどうか――かなりアヤシいようだが。
 自分とリナの遺伝子ミックスの産物なら仕方ないかとも思ってしまう。
 こう考えてしまったらもう親の負けなのだが――、それにも気付かず。
 さらに末姫のうるうる攻撃も加わって、根っから溺愛親父のガウリイが、もはや怒りをキープ出来るはずもなく。
「……わかった」
「おとーしゃんっ!」
 しがみついてきた娘を、ついついいつものように抱きしめて、頬ずりしてしまい――。
「――リナにもちゃんと謝るんだぞ」
「うんっ」
 再び行進が始まった時には、もういつものようにゆっくりな歩調に戻っていた。
 ちょっと距離を離して、兄達は囁きを交わす。
『――よし、父さんはこれで問題解決だな』
『レイナ、えらいっ♪』
『あとは母ちゃんだけだな』
『けどさー、何でバレたんだろな?』
『どうする?』
 こまっしゃくれ軍団の対策会議は――、いつもより早く着いてしまった家の前で仁王立ちしていた、リナの問答無用の一撃で打ち切られた。


<<つづく>>


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